FUMIO YASUDA REVIEWS

フランクフルターアルゲマイネ紙 Frankfurter Allgemeine Zeitung (ドイツ)
2000年12月8日付
音の花園にて
時の人: 日本人作曲家 安田 芙充央
電子メディアネットワークがあまねく浸透し、世界共同体がこれまでにない
統合を見せようとしている今日でさえ、やはり大陸間には距離感を禁じ得ない。
人類共同体主義者にしてみれば遺憾であるかも知れないが、
未だに地域差が存続するという事実は、言い換えればお互いに学び合うことができるということにもなる。
昨今では「世界音楽」といった表現があたかも流行語のごとく、時として虚無な響きを伴って、
ごく限られた有効性の範疇内に封じ込められているような様相を呈している。
しかしこの「世界音楽」も、もし地域性の距離感が存在しなければ
成立することさえもなかったであろうし、常に書き換えられることもなかったであろう。
そしてこの「地域性の距離感」は時代の霧の中にあり、我々の好奇心をかき立てる。
ちょうど子供が新しいおもちゃを手にするときのように、しかもそのおもちゃの価格は
できればすぐにでも安くなってくれればありがたい、そういった気持ちにも似ている。

相互理解を促進する際、何も今日広く行われている
(例えばロック音楽に見られるような)形式に追随する必要はない。
ロック音楽においては、遠い地域からのエキゾチックな響きを独自の
和声的、旋律的、リズム的構成に取り入れ、独自の多様性に貢献させている。
また「母国語メソード」として知られる、かの有名な鈴木バイオリン教程では、
ちょうど子供が難なく母国語を学んでいくように、音楽も耳で聞くそのままを
学んでいると定義するが、このような定義のみに制限する必要もない。

「順応と模倣」この二つが今日の日本の作曲状況の大部分において、キーワードとなっている。
アジア、特に日本においてのヨーロッパ音楽は、旧世界に於けるものとは全く異なる位置づけを持っている。
日本に於けるヨーロッパ音楽は、すべての「音」の基準であり、音楽を真剣に考える者であれば
誰もが到達しようと切望する頂きである。
まさにこのイメージこそが、音楽の場における奇怪で的外れな評価態度を生みだし、
ヨーロッパ音楽を誤解させる原因となったといえるであろう。
130年前の開国以来、日本に於けるドイツのクラシックおよびロマン派の音楽は
非常に高い位置を占めており、すでに当時から日本での音楽教育はドイツのオーケストラよりも
「ドイツ的」に響くことを至高の目標としている。
しかしながら日本の音楽家が名声を獲得することができるのはまず国外においてであり、
日本国内では国家が音楽家の生活を保護することは過去にも現在にもなく、
個人のパトロンが音楽家を抱え込むこともほとんどない。
日本の音楽界には今日に至るまで混沌とした多極性が存在する。
アングロ・アメリカの影響のもとに、ポップスやジャズが独自の地位を確保し、
古代から継承される宮廷雅楽が再び脚光を浴びるようになり、ヨーロッパ音楽が
今なお模倣され賞賛される。
いつの間にかそこには3本の柱が同様に天までそびえ立つ姿が浮き出され、
それぞれの頂を連結するように舞台を設定したならば、
あたかもそこには全く新しい響きの原点が築かれるかのようである。

そこに独立自尊の安田芙充央が君臨している。
ヨーロッパでは全く無名のこの作曲家/ピアニストのCD「花曲」は、
日本現代音楽の百科事典と称しても過言ではない。
ピアノの第一音から始まるその音楽性と緊張感は、このCDの全体(総合タイム65分、
18曲の作品と1曲の即興演奏)を通して崩れることがない。
この1953年東京生まれの芸術家は、すでに10代の頃から即興演奏や作曲を始め、
音楽大学でヨーロッパ的であることを理想としたクラシック・ピアノの教育を受けた。
ジャズを演奏し、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、90年代初めには
独自のピアノ作品の録音を発表し、オーケストラと共演している。

さらに5年前からは写真家の荒木経惟との共同プロジェクトとして、
一種の視聴覚鏡像芸術の創作を開始した。
荒木が撮影した映像に安田が即興演奏を加え、時には作曲に応じて荒木が映像を創作する。
安田の録音を最初にヨーロッパで発売することになったWinter & Winter 社の
ミュンヘン(シュバービング区)にある小さなスタジオで、この二人がいかにお互いの
芸術を競作し共作するか、その姿をこの数日間観察することができた。
CD「花曲」のブックレットには、荒木が撮影した花の写真ががあるが、
それは暗闇を背景にした肉感的な、そして特異な挑発性を感じさせる植物である。
部屋の白い壁にある拡大された映像の数々は、
脅かすように淫らな官能性を醸し出していた。

安田は特にこのイベントのために日本から赴き、薄暗い照明効果の中、
窓ガラスは観客の熱気でいつの間にか真っ白に曇っていた。
白い紙のスクリーンには荒木が撮影したビデオの映像が映し出され、
紫と赤とオレンジの縞の向こう側には路上をギクシャクと動く人間の姿があり、
車が通り過ぎる姿がある。
テープデッキからはストリングスの注意深いクレッシェンドが鳴り響く。
5部構成の作品 Death Sentiment の始まりである。
このCDで最も重量感のある作品で、感動的な葬送曲である。
突然安田が3つの音で構成されるモチーフをピアノで奏で、追憶の中へと浸りこむ。
安田の演奏はまるで議論のようで、曲の後半では左手でピアノの和音を演奏し、
同時に右手はメロディカの鍵盤を操る。
オーケストラとピアノと、そしてまるで茶化すようなプラスチックの玩具との共演からは、
全く独自の、これまでにない「音」が創造される。

その響きは、安田自身でさえも言葉にすることができないという。
安田は自身の創造源について簡潔に、新しいものを作り出そうという試みである、という。
その出発点はクラシックでもポップスでもなかった。
一度この録音を聞き始めると、何度でも繰り返して聞きたくなってしまうような、
この音楽には否応なしにでも引き込む強いものがある。
安田はオーストリアの後期ロマン派作曲家フランツ・シュミットの作品や、
ジョン・ケージが開拓した音響の新境地などから強い影響を受けたそうだが、
これは驚くに至らない。
またマーラーの巨大空間、ペルト的な悲壮オペラ、ミニマル・ミュージックの波動性、
ドビッシーの東洋指向性を持つピアノ音、チェリストであるエルンスト・レイスグルとの共演から
織り出されるシューベルト的なメロディーの輝きなど、安田の音楽の中に響くものからは
更に多くを聞き出すことができる。
しかしその中からは随所に安田自身の個性も浮き出ている。安田は次のように語る。
「私が日本人であるということで、様々な影響を取り入れることが容易になっている。」

しかしこの驚くべき素晴らしい録音の決定的な要素は別の所にある。
それは音が聞き手の中で変化する芸術であり、特定のモデルを何度も鏡に映し出すことにより、
場合によっては例えその輪郭が不鮮明であったとしても、ごく細かい突然変異が起こり
そこに新しい生命が成立する。
ほとんどの曲にはタイトルがあり、その響きから聞き手は曲を聞く前にすでにその響きを
予想できるような気がする。
ところがその響きは全く別のものである。
Tango For November のみがその予想に最も近く、そして聞き手は「それらしさ」を感じる。
日本人もタンゴを踊り、魅惑されたようにこれを歌う、そこには全く別の響きがあるのだ。

アンドレアス・オプスト

フランクフルターアルゲマイネ紙 Frankfurter Allgemeine Zeitung (ドイツ)
2001年7月13日付
時よ、永遠に
「ヴェルディに魅せられて」: ピアノとファンタジーのための音楽絵巻
アルプスの冬は長い。
ブダペスト出身の赤毛のミス・アンジー、そしてデンマーク出身で「ベルグホテル・シャッツアルプ」
(かつてダフォス山巓にあったサナトリウム)のミュージシャンでもあるイェンスは、
この冬に866本のビール、3ダースのウィスキー、18本のリカー、
そしてほぼ同数のジュース類を消化したほどだった。
楽器置き場でもあったカミンハーレ(煙突の間)で、二人は楽曲の合間の休憩中に消費した
飲み物の明細を記録し、カミンハーレのすぐ隣にある小さな図書室の机においてあるこのリストには、
なんと36ポジションもの記入がされている。驚くべき数である。
これはある意味では「ここ」にもいまだに人間が生活しているという証でもある。
遙か昔から存在していたように思われるこの地で、かつてトーマス・マンが「魔の山」で
「この瞬間」について書いたように、快活な肺結核患者ハンス・カストルプに、
その7年間に及んだ滞在の当初、次のように話して聞かせた。
「時間とは全く確かではない。長いと思えば長く、短いと思えば短いが、
どれほど長いのか短いのか、その真実は誰も知らない。」

「ベルクホテル・シャッツアルプ」の客達は、シーズン中の毎晩カミンハーレにたむろし、
パラゴムノキの緑に囲まれたオーカー色とダークレッドの生地を張った安楽椅子に腰掛け、
ドリンクを注ぎ込みながら、イェンスは熱っぽく延々と語り、
ミス・アンジーは赤毛のポニーテールで微笑んだ。
去年の冬がこうして過ぎ、今年の冬も同じように繰り返されるのだろう。
かの地では100年前も同じように時が過ぎて行ったように、
メドリゲルフルーやティヤーフルーの白い頂の向こう側でもそうだったのではなかろうか。
アローザに立ち並んだ白い棟々は、かつてのダフォスに競って
ヨーロッパ中の肺結核患者を収容していた。

アローザはアレクサンダー・シフゲンが最初の職に就いた地でもある。
この若き、才能豊かなピアニストは、数々の試験を最優秀の栄誉で突破したのだが、
一向に音楽の職が見つからなかった。
出演の機会もなく、大学の教職もなく、プライベートの生徒さえなかった。
そのようなポストであれば、教える最中に夢想することもでき、
彼にとってはむしろ好都合だったのかも知れない。
ともあれ彼は山間のサナトリウムでの主席ピアニストとしてアローザにやってくることになった。
ここから彼が実家の母親に宛てた最初の葉書には、長くも短くも彼の生涯に
深く根ざすことになった郷愁を、すでにこのときから感じさせるものがある。
「ここに来て2週間になりますが、なかなか馴染むことができません。」
アローザの駅を描いた葉書にアレクサンダーはこう書いている。
「でもどうか僕のことは心配しないでください。」

1800年代の終わりに書かれた10数枚もの葉書が、「ヴェルディに魅せられて」の
CDブックレットの中でアレクサンダー・シフゲンの物語を綴っている。
ただしこれは架空の人物であり、歴史上にも文学の世界にも存在しなかった。
しかし、もしかするとどこかに実在したかも知れない
− そしてこの録音のフィクションの中で現実のものとなり −
さらにリスナーのファンタジーの中に宿るようになる。
あたかも「魔の山」のライトモチーフとして何度も繰り返されるハンス・カストルプの言葉
「彼らと、この高地で」の、何か兄弟のようなものでもあるかのような感がある。

アレクサンダー・シフゲンが書いたかも知れない、その2枚目の葉書には
「今日サナトリウムで初出演しました。ヴィオレッタ、レオノーレ、アイーダ… ヴェルディは素晴らしい!」
音楽と山巓の空気に酔いしれたかのように、雪と太陽の便りはこう続く。
「世間からはみ出し、ヴェルディに魅せられて救われました。アローザにて。」
この冬の村での心境であろう。そしてサナトリウムの音楽室にある絵の端に残された
最後のメモには、こう記してある
「ここは天使が棲む地です。奥地より愛を込めて。」
その後の彼の消息は途絶えてしまう。

すべてのCDには物語がある。それは、ミュージシャン達が集まりスタジオで録音をし、
またはステージでのコンサート録音で、または別の場所でもかまわない、
ともかくそういった成立の過程である。そしてほとんどの場合、それがすべてである。
音楽的な見地から、このような物語が意味をなすことはほとんどない。
自宅のCDプレーヤーを前にしているリスナーにとっては、なおさらのことである。
これこそシュテファン・ヴィンターが、音楽プロダクションの「ドキュメンタリー性」と指摘した点であろう。
CDは「どのように鳴ったか」を、そして「どのように録音されたか」を再生する。
さらにヴィンターはこう続ける。
「しかしそのような録音には、聴くべきものは、聞こえてくるもの以上であるかもしれない、
という認識へ導くディメンションが欠如している。」

シュテファン・ヴィンターは、4年前からクラシックとジャズの録音をプロデュースしている
ミュンヘンのレコード・レーベルWinter & Winterのトップであり、
並行してプロデュースしている一連の録音をヴィンター自身が「聴く映画」(ヘールフィルム)
と名付けている。
「音楽のエッセイであり、響きの印象であり、現実とフィクションからの創造です。」
彼の「聴く映画」が描く世界には、パリの遊郭があり、バーゼルのカーニバルがあり、
タンゴの勢いに乗ってブエノス・アイレスへと導き、さらにニューヨークのミュージカルの世界へ、
もしくはヴェニスの広場へと。そこにはサロンオーケストラの演奏があり、
その響きがカフェの建ち並ぶサン・マルコ広場のアーケードをくぐり抜け、
それに鳩の羽ばたきが鳴り重なる。

誰しも録音を聴きながら時おり疑問を持つことがあるだろう。
マイクをセットし録音機器をスタートさせる、そういった媒体(CD)を考えるとき、
「何が本当に鳴っているのか、そして本当に残るものは何か?」
しかし「ヴェルディに魅せられて」のコンセプトが常に現在のように確立されていたわけではない。
この作曲家の没後100周年にちなんだ企画が次々に山積みされ、
そのほとんどがアリア集とオペラの新録音であり、各自がその唯一無二の
オリジナリティーを高々と掲げている。
それに対し、このCDはリスナーの心をそう簡単には離さない。
これはオペラの録音ではないが、76分間のこの録音はほとんどオペラのことだけを語り続けている。
それは「オペラは人生の別の一面を描写するものであり、その一面とはおそらく
高い方の一面である」というヴェルディの意図に厳密に即したものである。
同様にフランツ・ヴェルフェルも1924年に刊行されたベストセラー
「ヴェルディ − オペラのロマン」の中で、高齢のマエストロ自身の言葉を次のように引用している。
「音楽の奇蹟とは、多くを一度に語ることができることである。」

ちょうど「魔の山」がこのCDの背後にそびえ立つように、ヴェルフェルの小説も
このCDの舞台裏に存在する。
しかしシフゲンはカストルプのように愛に彷徨するようなことはなかったし、
病気にもならなかった。(少なくともそのような記載はない。)
彼はむしろ音楽に彷徨し、その夢想の放浪はリスナーに多くの興味をかきたてる。
アレクサンダー・シフゲンを描き出す日本人ピアニストの安田芙充央は、
去年の秋にWinter & Winterからデビュー版「花曲」をリリースした。
これは花が咲き乱れる写真から受けたインスピレーションに基づくピアノ音楽で、
特異な魔力を放出している。
それは異文化の響きではあるが、ドイツ・ロマンティックと同様に
アメリカのミニマル・ミュージックがあり、ペルトのメランコリーがドビュッシーの東洋指向性に出会う、
そういった要素が親近感を持たせるのであろうか。

ではヴェルディと一枚の素晴らしいCDに話を戻すことにする。
安田はオペラのメロディーを奏で、ピアノがアリアを歌い、一幕が数小節に集約され、
CDが長く進むにつれ起伏のサイクルが大きくなる。
すべての作品に続く最後の曲はファンタジーである。
しかしそれは、シーズン中にベルクホテルの食堂や煙突の部屋などで毎晩演奏されるような、
「リスナーズ・ダイジェスト」ではない。
安田はジャズやブルース、そして更に新しいものなど、ヴェルディ以後に現れた音楽を
クラシックの響きの中で巨匠の音楽と融合させ、
ヴェルディから学んだ内容から新しい世界を生み出している。

それがこのCDの音楽的主軸になっており、更に様々な音の破片やサウンド・インプレッションが
その周囲を満たしている。
その様子はあたかもこの録音の背後にある構想の鏡像のようでもあり、
あるいはまるで音楽が自己の意志で活動しているようでもある。
サナトリウムの前の庭では小鳥がさえずり、弦楽四重奏がダンス曲を演奏し、
オルゴールがワーグナーを奏でる。
「舞踏への勧誘」は、カストルプがクラウディアに会釈した頃のことを思い出させ、
「ラデツキー・マーチ」はオーストリア人がベニスで過ごした数年間を思い出させ、
かの地のサロン音楽が今でも聞こえるかのようである。
遠くの谷間から教会の鐘が響き、それにブラスバンドのマーチが混じる。
すべてには意味がある。もしそれが事実でなかったとしても、安田の音楽は残るであろう。
その物語はつねに神秘的である。

アンドレアス・オプスト

ハンブルク新聞 Hamburger Abendblatt (ドイツ)
2001年8月12日付
過去の世界に引き込まれて
もし ... だったらどうなっていただろう? ファンタジー好きなリスナーのための
ヘール・フィルム(聴く映画)「ヴェルディの魔法に」の中に描かれている、
サナトリウムで演奏する一人の架空のピアニストの物語。

ギド・フィッシャー
シュテファン・ヴィンターが1996年にヴェニスへ向かった際、サン・マルコ大聖堂や
その歴史的に有名な音響などは頭になかった。
その代わりに、グラン・カフェ・フロリアン、ラヴェナ、クワドリなどの隣接するカフェの数々で
マイクをセットした。
そこでは100年前に室内楽アンサンブルが、軽い音楽を演奏していたという。

グラスの音、雑踏のざわめき、サン・マルコ大聖堂の鐘の音に混じって演奏する
地元の楽士たちは溌剌としていた。
プッチーニからピアソラまで、誘惑のきらめきと崩れ落ちそうなメランコリーが
密着した心に残るメロディーの数々は、かつてよりヴェニスの老婦人たちのハートをつかんで離さなかった。

その数日間の印象をシュテファン・ヴィンターは、音のスケッチ「ヴェネチア・ラ・フェスタ」で描写し、
人と街の音の指紋を再現し記録する一連のCDシリーズのスタートを切った。
ユリ・ケインのアンサンブルがヴェニスでワーグナーの最終駅となり、
「ニューヨークの歩道 − ブリキ鍋横町」がジャズ創世記への賛歌となった、
これらは古文書と、ドン・バイロンなどを含む新時代の解釈とのコラージュである。

音楽の世界徘徊者ヴィンターがブエノス・アイレスのタンゴ酒場、
あるいはハバナのソン・クラブをのぞいているのでなければ、パリの遊郭でジャズ・ミュージシャンと
娼婦の逢い引きの仲介をしているに違いない。
そこに現れるのは、雰囲気の修正や虚飾のない、並はずれにメランコリーな刹那の録音である。

ヴィンターは、失われたとされている時代の痕跡をたどっている。
彼にとって20世紀への境界は特に重要である。この時代の情緒破壊の性癖は、
すでに両足を墓穴に踏み込みかけているようにさえ思われる。
ちょうどトーマス・マンが「魔の山」で書いたように、時代の主人公たちは
ほとんど役に立たない束の間の救いをサナトリウムに求めた。

シュテファン・ヴィンターと日本人ピアニスト、フミオ・ヤスダによる一風変わった
ヴェルディ年間記念企画、音楽上の物語「ヴェルディの魔法に」も
やがて過去の世界へ移行しようとしている。
トーマス・マンのモデルと、フランツ・ヴェルフェルの小説「ヴェルディ」から、
彼らはアレクサンダー・シフゲンの物語を作り上げた。
これは第一次世界大戦前に、「魔の山」のダフォスから遠くない、
スイスはアローザの山間のサナトリウムの主席ピアニストであったという構成である。

「ヴェルディの魔法に」は音楽上の物語ではあるが、母に宛てた架空の葉書が、
故郷と異郷を彷徨するシフゲンの心の世界を描き出している。
この放心と郷愁の世界を描くために、ヴィンターとヤスダは実に適切な音の背景を作り上げている。
シフゲンの仕事部屋には小鳥のさえずりとアローザの教会の鐘の音が響いており、
それに療養客のざわめきと、アレクサンダー・マーチ(かつてロシア人の客に
歓迎曲として演奏された)が混じり合う。

これは田園詩であり、シフゲンにとっては悲壮曲でもある。彼はむしろ沈黙の中で、
過去の世界に引きこもり、ヴェニスの思い出にふける。
このアローザではオルゴールから流れてくるラデツキー・マーチが、
夢想の世界の中ではオーストリア軍楽隊が演奏となって響きわたる。
それどころか、ヴェニスでは「ラ・フェニス」で初めて、忘れることのできない「椿姫」の上演を
体験したのだった。
アレクサンダー・シフゲンことフミオ・ヤスダが引用するヴェルディのメロディーが流れ出すと、
それはまぎれもなくヴェニスの活気への慕情そのものとして響く。
大きな感傷と繊細な優雅を加味しながら、ヤスダは「アイーダ」「リゴレット」「オテロ」などの
メロディーから独自のファンタジーを繰り広げ、ワーグナー的和声を織り込み、
自らのヴィルトゥオーソで「突っ張り」なリストの擁護者であることを宣言している。
もう一つのファンタジーは、後期ロマン派とジャズから効果的なカクテルを作り上げた、
創造するさすらいのソリストヤスダの手によるものである。

「ヴェルディに魅せられて」 フミオ・ヤスダ:ピアノ Winter & Winter / Edel
910072-2

キール新聞 Kieler Nachrichten (ドイツ)
2001年9月18日付
天使が耳を傾ける音楽
日本人ピアニスト、フミオ・ヤスダ、ヴェルディ年間記念公演
自己賞賛の賛辞

ジャズ・シーンの次なる革命が目前に迫っていることを、このジャンルにおける
鍵盤の巨人ではあるが芸術音楽の志士としては疑問視されるキース・ジャレットが、
つい最近フランクフルター・アルゲマイネン・ツァイトゥング紙のインタヴューで予言した。
どこにその革命が聞こえるのか、という反問に対してこのピアニストは揺るぎない確信を持って答えた
− それはこれからリリースされる彼のCDのことである。

個性ノイローゼはかくも喜ばしいものであろうが、もし年老いてゆく自我が
自己の傲慢と戦い続けるのであれば、それは悲しくもありえる。
ジャレットが演奏したソロ・コンサートが驚嘆され、彼の体の一部でもある
ミュンヘンのレーベルECMが単なる「音の記録」としてだけでなく、
重要な収入源となったあの頃がノスタルジックに
思い出されることだろう。
今日ではこのピアニストは自ら開発した慣用句の世界にふけるばかりで、
再びこのミュンヘンから新しいジャズが生まれるとは誰も信じていない。

ところが実はそうではない − 通りの2〜3丁先を見るだけでいい。
ここでは、ある若いレーベルWinter & Winterがこの4年ほど、静かな革命を起こし、
大きな波紋を投じているのだ。
たとえばアメリカのピアニスト、ユリ・ケインはグスタフ・マーラーや
ヨハン・セバスティアン・バッハの音の世界を、ニューヨークのダウンタウンの空気で表現し、
イタリアの越境者テオドーロ・アンツェロッティはエリック・サティの作品をアコーディオンで演奏している。
従来の音楽の聴き方に改革を呼び起こし、芸術音楽と軽音楽との国境地帯に棲息するために、
同レーベル社長シュテファン・ヴィンターは自らの監修の下でこれらの制作に携わっている。
同レーベルのお家芸は、プロデューサーのヴィンターが提唱する「聴く映画」(ヘールフィルム)である。
それは空間に密着したCDであり、そこに録音された音楽と同時に背後の環境音も録音されており、
その録音空間全体のミックスがあたかも耳のための映画のような効果を表す。

真に新しい試みではあるが、当然のことながら常にいい結果がでるとは限らない。
例えばユリ・ケインのマーラー解析が成果を上げた結果、
バッハへの挑戦も当然の流れではあったのだが、
先年のバッハ年間において最も注目された録音とはならなかった。
そのような背景の上に立ったこの企画の中で日本人ピアニスト、フミオ・ヤスダが
ヴェルディ年間の王座に着いたのは、当然でもあったと同時に驚きでもあった。
これはアレクサンダー・シフゲンというピアニストの(架空の)物語である。
この中でヤスダは「語り部」であり、ソロ・ピアノの部門にあたらしいスタンダードを開発している。
昨年すでに「花曲」という壮大なアルバムで自己のスタイルを打ち出したこのピアニストは、
今回のCDでは療養地ピアニストを演じている。
魔の山を思わせるような人里離れたアローザの山間のサナトリウムで、
人々をヴェルディの音楽で魅了する、という役回りである。
そしてその一方では、静かに世界が消えていくようでもある。

「空気、湿度、木々のにおい、雪、それらすべてが今回の音の旅で私を霊感させた。」
ヴィンターの構想による録音を、隠遁たるエルマウ城において行ったヤスダはそう語る。
この中でヤスダは主にヴェルディのオペラの主題に沿ってインプロヴィゼーションし、
ヴェルディの音楽的表現を全く意のままに変型させ、再構築し、破壊する。
我々は何の抵抗もできずに、ただ聴き、ただ驚くのみである。
「私は、演奏するとき常にロード・ムービーを想定している。」
このプロジェクト以前には、この作曲家の作品に特に親しんでいたわけではなかった
ヤスダは謙虚に語る。
「演奏とは、音が導く先への旅だと思う」

その意図のために自己を透明にすることができる一人の音楽家の飽くなきヴェルディ研究と同様、
その意図は山間の音楽の場にさらに一味違った一面を醸し出すようである。
「お母さん、ここは天使が棲む地です。」
CDのブックレットには、アレクサンダー・シフゲンがこう記した葉書が載せてある。
「そしてこれは天使が耳を傾ける音楽です。」
こう続けたい。

オリバー・シュテンツェル
ヴェルディに魅せられて  フミオ・ヤスダ(ソロ・ピアノ) Winter & Winter 910 072-2

キール新聞 Kieler Nachrichten (ドイツ)
2001年9月28日付
静かなる響きの中に
日本人フミオ・ヤスダ、クルトゥール・フォールムにてピアノによる月面着陸
今日ヤスダを語る際、最も重要なことは何だろうか?
それは多分、まだ何も語られるべきことがない、ということであろうか。
フミオ・ヤスダはピアノの前に座り、ヴェルディを演奏する... いや、本当にそうだろうか?
むしろ一人のピアニストが独自の世界に遊ぶ姿ではないだろうか。
ここに比類なき折衷主義が随所に偏在するのは事実ではあるが、
それ故に偉大なるヴェルディのオペラのテーマが初の月面着陸を遂行した宇宙飛行士のごとくに
特異な効果を現すのではないだろうか?

水曜日の晩、CD専門店「ルース・ケーニッヒ、クラシック」の開店5周年記念コンサートに
日本人ピアニストが出演したクルトゥール・フォールムのラウンジは満席であった。
そして驚嘆すべきは、現代の最も個性的なピアニストの一人が、
イタリアの作品を厳密には即興演奏というよりむしろその作品の内部に潜入するかのように、
すべてを外側へ導き出し、そして同時に自らを導き出していることである。
キールのヴェルフトパーク劇場で有名な俳優トム・ケラーが、トーマス・マンの「魔の山」の抜粋を朗読し、
この独奏を「伴奏」した。
これは山間のサナトリウムで夢想するピアニストの物語には最適の効果であったようだ。
そこには今回の新しいCD企画にヤスダを起用したプロデューサー兼ミュンヘンの(*異色の)レーベル
Winter & Winter社長のシュテファン・ヴィンターも出席していた。

休憩後、さらに驚きであったのは、彼の相棒ノブヨシ・アラキが制作した花の写真について
コメントを加えた、その奇怪なる調和性である。
この写真家による病的に咲き開く花の接写が連続して映写される間、
ピアノとメロディカが優しく崩れ落ちるように語りかけてくる。
もちろんそこには多くのペルト的要素、ミニマル・ミュージック、伝統的なロマン派のピアノの手法、
そしてわずかながらジャズの要素などを垣間見ることができる。
しかしヤスダはこれらの音楽の断片をお互いに関連させ、その手法の中に新しい「音」を作り出し、
それらが静かに響いてくる。

このピアニストにとって音楽が音の旅であることは、コンサートの数週間前にも本人が述べていた通りである。
果たして我々は水曜日にその道のりが印象深い目標へと向かっているのを知ったのであった。

オリバー・シュテンツェル

天才アラーキーが、安田芙充央との仕事と音楽を語る!!
アラーキー TALKS ABOUT 安田芙充央 (FUMIOYASUDA) AND THEIR COLLABORATIONS
Q:安田芙充央さんとの多くのコラボレーションを通して、彼の何に触発されるか??

A:限りな<切ない。時には狂おしく、そして時には切なさのある音楽。
時に、気がふれる感じを感じる時があるんだよね、彼の音楽には。

Q:順序として、アラーキーの作品に安田が音楽をつけるわけだが、音楽がついた後に、
写真が変更されたりすることもあるのか?

A:時と場合による。写真を前もって多めに見せて説明する。それで、音楽が仕上がったら、それでまた、構成する。
例えば、音楽が、ガーっとなるときには、写真で赤い色をもってくるとかいうような感じよ。
正にコラボレーションって感じ。そうじゃないと、何が最終的にどうなるか、わかんないじゃない。
説明の時に、あんまり安田には規定しない。そうだと、彼がやりにくいじゃない。

最近やったアラキネマは、前もって写真集を渡しておいたの。
で、それを何回も何回も見てもらって、音楽をつけてもらったの。
で、できた音楽にあわせてスライドを作ったの。
何度もアラキネマ見てるとさ、ずっと、センチメンタルだからね、こう、音楽も切ない曲になっちゃうんだけど、
ちがうのもあるんだよね。しょっちゅうあればっかりじゃないよ。
今日、打ち合わせするのなんて、ぜんぜん違う。人の顔がね。こう、どんどんくるのよ。
その後、街の景色に、その後、ちょっと女が入る。
写真を前もって見てもらわなけりゃだめだからね。
見て、それで、その、漠然とした写真の束を見てもらって、音楽のあとで、いろいろまた構成する。

Q:今回の安田のアルパム‘花曲’では、ジャケットの題字を書いていますね。
また、ライナーノーツにも写真を提供していますね。

A:そう、そうなの。今回のアルバムの音楽を聴いた印象で書いた。
それから、ブックレットに入る花の写真も、全体の音楽の感じをもとにセレクトした。
花、、、セレクトはやっぱり、世紀末の感じね。
今世紀が終わる、終わっていくっていう今、何かこう、次の世紀への希望と、
なくなって消えてゆくっていう寂しさがあるでしょ。
そういうふうに考えると、‘花’が枯れかかっていく様のよう。
‘花’が枯れかかっていくけど、その枯れかかっていく途中が一番、
それからのことを予感させたりするというのかな。
そういう観点から、写真を選んだの。だから、みんな枯れきってきないけど、ちょうど、そのときなのね。
で、彼(安田)の音楽にも、それがあるのよ。何か、消えてゆく、滅ぴてゆくっていう。。。
死に向かっていくような感じと、そして死からちょっと、なんか光とか、、‘生’を感じさせるようなね。
彼の音楽とは、そういうところが、私の写真と合うんだね。
死に向かって行くったって、ただ、葬式の音楽じゃないんだよ。
ぐーっと希望をもたせる、生きることへと、生を感じさせるもの。
死から生へ。。。という感じの‘毒’の要素も含んでいる、だから、エロティックなんだ。
音楽が、官能的。身体に染みてくる音楽。耳じゃなくて、、、脳ミソとか、、、身体に、、、、。

Q:今後のお二人のプロジェクトは?

A:今、彼に頼んでるのは、さっきも言ったけど、今ちょうど、今世紀終わりだからさ。
世紀末だからさ、ボクはいつも夜の光をね、いつも撮っているんだけど、ネオンとか、、、
それが、ものすごくその光が氾濫している夜の都市のイメージから、だんだんそれが消えてゆくっていう、
最後は‘闇’になるっていう。。。それを、‘夜光曲’、夜想曲じゃなくね。それを考えているわけ。
今回の‘花曲’だって、‘歌曲’とかけているんだよ。実は。
とにかく、この‘夜光曲’ではね、安田の音楽的な才能が、存分に生かされてくるわけ。
写真は、ただ、光だけだもん。
どんなふうになるかね。。。ものすごい都会の喧騒から始まって、消えていくまで。
今、それを撮っていこうっていう、藻然とした感じね。

Q:それは、国内で?

A:いやいや、、、こういうものって言語なんていらないから、もうどこでも。
海外は、評判いいし、、、ヨーロッパだげでなく、台北とか上海とか香港とか、、、いろいろ通じるんだよ。
とにかく、この‘夜光曲’では、彼(安田)の実カが十分に出るね。
それと、もうひとつ、昼の町の風景っていうのも撮ってるの。
車の窓から、だーーっとね。でっきるだけ、長く。それも単純に。
それもいいな。
とにかく、この‘夜光曲’は、今年中にやらなきゃね。

それに、案外人間ってね、年とると、変わるでしょ。
彼(安田)だって、明るくなっちゃうとね、、世紀末って感じがでないじゃない。
だから今、彼を‘世紀末だぞ!!’って洗脳してるのよ。(注:安田は、明るく楽しい人柄ではある)
私生活もいろいろ落ち込んでるときとかじゃないとね。。。(え??笑)
あ!、でも、落ち込んでるときは、だめ。‘死’に向かうときのエネルギーが出ないんだよ。
とくに作曲なんてそうでしょ。
それは写真とるのも一精ね。
そういう哀しい写真をとろうとするときこそ、エナジーがいるのよ。エネルギーが。

そう。そういう意味では、彼(安田)の音楽は、案外、強いね。なんか、身体に染み込んでくる。
ひだがすごくあるっていうか、入り込んでくる。
安田の曲が、私の皮膚の毛穴に入り込んでくるとか!(笑)
染みてくる。
こういうふうに、染み込んじゃってるから、忘れない、心と身体に残るのね。
どこに染み込んだのかは不明。
身体か、脳裏か心か、、、。そういうふうに考えると、彼の音楽は、すごくわかる。
で、いつも、同じ(笑)、、でも、いつもワクワクさせるし、心のざわめきも感じるし、、
それが、混ざり合っているから、すごくいい。

Q:‘花曲’にも見られるアラーキーさんの花の作品、めずらしいものも多いが、いったいどこの花?

A:もうね。適当になんでもいいからどんどん持ってきてもらっているの。
旬のもの、そこいらで、目についたものなんか。
でもね、すぐに撮らない。こう、、、見て待ってるの。撮り頃ってのまで。すぐ邊っちゃだめ。
新しいきれいなのなんて目もくれない、、、、あるのよ。‘その時’が。腐るちょっと前ね。
それでね。何でいろんな種類の花を撮影するかっていうと、、、
要するにみんな花をよく見ていないのね。漠然と鑑賞してるっていう感じ。
僕はクローズアップしてすごく近くで搬影するんだけど、そうすると、なんか、ありふれた花でも、
新しく見えたりするのね。
ほとんど見たことのないような花にね。

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