FUMIO YASUDA COLUMN

2015/04/01 井上淑彦のこと 
井上淑彦のこと      

サックス奏者の井上淑彦とは40年ちかく前、1976年頃横浜の中華街にあったストーク・クラブで初めて出会った。
当時ストーク・クラブはアメリカン・スタイルのジャズクラブとして知る人ぞ知るの店で外人客も多かった。
井上はニューヨークから帰ったばかりですでにオーラがあった。おれはJAZZのイロハも知らなかった。
ギターのバンマスが「彼は世界を見てるんだよ」といった。
音楽に専心しようと決め、2年間勤めた昼間の仕事を止めたとき、井上に電話した。「そりゃ、よかった」と言ってくれた。

1970年代の終わり頃ストーク・クラブが失火により全焼。関内に移転しニュー・ストークとなり、井上淑彦と毎週火曜日にセッションをすることになった。
オリジナルもやろうということになり、試しにオープン・スカイというバンドをやり、金井英人グループ、板谷博マルチフォニックス、宮坂高史4でも演奏を共にした。
井上は「俺は階段をひとつずつ確かめ、極めてから、その次を行きたい」と言っていた。相当計画的に練習をしていたようだった。
ある日リハーサルで彼の山手の自宅スタジオに行くと、ジャイアント・ステップスのアドリブラインの書きかけが山のように譜面台に乗っていた。
超高速あるいは超低速のメトロノームにあわせて練習をしていると言っていた。

1984年ころ彼に初のリーダーアルバムの話が持ち上がり、青山のビクタースタジオの研修日を利用して録音した。
ストークで一緒にやっていた米木康志(b)礒見博(Dr)とのカルテットで曲はマイルスやコルトレーンのものが中心であった。例のジャイアント・ステップスも入っていた。
カインド・オブ・ブルーはデュオでやった。乗りすぎてテープが足りなくなった。
アルバム・タイトルは「ジャイアント・ステップス」にしたいと井上は言った。
ジャケットの絵も決まっていたが、結局レコードの話は沙汰止みとなった。「まだ。早い」と思ったからだろう。彼らしい。

その後、井上は森山さんのバンドの音楽ディレクションを任されるようになり、横浜のみならず、日本のジャズ界になくてはならないプロフェッショナルな存在となっていった。
取り残されたような気がしたが「おれはなにか自分のものをやらなきゃ」と思った。

井上とは15年ほど前に一度だけセッションをやって以来会っていない。こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。
晩年若手ミュージシャンに愛され尊敬され、彼自身のオリジナルの花々が咲き誇ったときく。
井上は結局あのジャイアント・ステップスを再録音しないで世を去った。
彼と過ごした20代〜30代前半はのんきで自由な良い修業時代だった。
もういちどテープが足りなくなるような熱いデュオを彼とやってみたかった。

何つったって井上が最高だよなあ。

合掌

2014/09/03
スタジオ新装工事ももうすぐ完成。いろいろ機材も変えた。
まずは頼まれたばかりのフランス・中国合作映画の音楽制作からスタジオ仕事をリスタート。

2014/08/13 新作 CD 「Fractured Silence」テキスト by Fumio Yasuda
このCDは私が20歳の時から近年に至る中で書いたソロピアノのピースのシークエンスであり、私のなにげない個人史でもある。
これらの曲は過去の音楽の部品の記憶の回想に基づく形式で書かれている。
それぞれの楽曲の中に西洋音楽の和声進行が感じられるが、私はこれらの響きの連続のなかに音楽の時の流れの記憶を見いだそうとした。
記憶とはベートーベンのCmからF#mへの転調。シューマンの非和声音、ショパンのリディアンスケール、デルタ・ブルースなどさまざまな過去の音楽の断片だ。調性音楽の母港としての主和音の存在はすでになく、和音はただの物体であり、和声はお互いの関係性を失い記号化されており、調性の母体とはならない。和音は象徴としてのみ存在する。
象徴としての和音の響きは私にとってプルーストの「失われた時を求めて」の紅茶に浸したマドレーヌみたいなもので、それらの断片をきったけに幸福感を甦させる。そこからいろいろなストーリーも生まれる。
無意識的記憶はそれぞれ個人の中で螺旋状に存在している。
このCDのテーマは時の流れの記憶をたどること。それは自分の裡なるタイム感覚を確認することでもある。
タイム感とは未来を孕む現在の連続であり、その中でのキーワードは「永遠」である。
このCDには辺境の楽器的アプローチとしてのプリペアードピアノの使用があり、それはピアノという楽器の負の要素を強調する。
ピアノの弦に異物を弦に挟むことで、異なる倍音が強調された異国的な響きが死を想起させるものとなる。
沈黙をスタインウェイピアノの響きが破りさらにプリペアドされたピアノがその響きを破る。
そのポジ(生)とネガ(死)の響きの連続の中に「過去を現在に食い込ませ、自分のいるのが過去なのか現在なのか判然としなくなった」(鈴木道彦訳 『失われた時を求めて』 第12巻、310頁)ような超時間の中に自分が存在することができるかもしれない。私はそれを期待している。

これらの曲の録音は秋深まる素晴らしいミュンヘンのスタインウェイのホールにて行われた。
プリペアードピアノの部分の録音は東京の青山にあるスタジオで行われ、私はピアノの弦に釘やネジを無理矢理挟み込んだ。
ピアノのキーは押すだけで音が出るので、録音中は指の感覚やタイミングやかすかな振動の隙間をさまよった。
ほとんどすべてが書かれた音楽であるが即興で変化させた。
私の音楽スタートは1980年代初頭の日本の著名なフリージャズギタリスト高柳昌行との共演からであり、当時はアルバート・アイラーの楽曲と格闘していた私にとって今も昔も即興と楽譜に書かれた音楽と区別はしていない。
当初録音された作品は三十数曲に上ったが、それをプロデューサーのステファン・ウィンターがいろいろな検討を加えながら二十曲前後に絞り込み取捨選択した。

2014/08/08 ピアノソロ
ピアノソロの新作 CD の曲目・曲順が決まりました。30数曲の中からプロデューサーのステファン・ウィンター氏と協議しつつ選びました。CD タイトルは「 Fractured Silence」。全21曲。CD は Winter and Winter レーベルから9月19日に発売です。

ムジークフェライン カーテンコール
ムジークフェラインの演奏も無事終わりカーテンコール。

ムジークフェライン いよいよ本番
ムジークフェライン いよいよ本番、最初のカーテンコール
指揮 ベルント・ルフ
テオ・ブレックマン(ヴォーカル)
安田芙充央(作編曲・ピアノ)
ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団

ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ2
ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ2

ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ
ウイーン ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ
本番前のひととき

ウイーン ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ2
ウイーン ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ
控え室にて

2014/02/06  ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ1
ウイーン ムジークフェライン ゲネプロのいろいろ
オケあわせ。


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