FUMIO YASUDA COLUMN

2008/07/18
13日は鎌倉でライブ。そういえば鎌倉をカマキューラと詩人西脇順三郎は書いていたね。赤羽はアカバーネ。おっとこれは駅前シリーズのフランキー堺。
小町通りは相変らず賑やか。5月下旬からまるでP弾いてないので手がへろへろ。
茂木健一郎氏の「脳と仮想」を買って読む。

2008/06/17
5月中旬はNYでテオ・ブレックマンと「ベルリン」のライブをやってきた。いくつかコンサートにも行った。TAN DUNのオペラ、ポール・モチアンのジャズなど、、。「ベルリン」のコンサート、日本でもやりたいと考えている。

2008/05/03 ポタリング
ひさしぶりに自転車の日。
NYの曲を少しはさらわなきゃいけないと思いつつ雨上がりの道を自転車でポタリング。
タイヤの空気がだいぶ抜けていたので、ポンプにて注入。
目盛りのどこまで入れていいか忘れてしまい榎本氏に携帯で教えてもらう。
で、青梅街道の南阿佐ヶ谷から荻窪よりに小浜ラーメンという開店そうそうらしきラーメンやを発見。
小浜というと福井県のラーメンか。
深更、ようやく譜面のチェックをする。

2008/4/30 アーストンヴォラージュ
サトウ・コーシンさんの西麻布のアーストン・ヴォラージュまでステージ衣装を買いにいく。
ユニクロで買った安物の穴のあいたセーターを来ていった。
「セーターの脇に穴が開いてんだよね」というと「あら穴ついでやるわよ」というので「天下のサトウ・コーシンさんにユニクロの穴つぎなんて悪りイよ」といったが、結局穴つぎしてもらった。んで上着を2着、ズボン1本、インナー2着購入。おみやげになぜか韓国のチョンジャ(タラのハラワタのキムチ)をもらった。聞くと今日韓国のファッションショーから帰国したばかりだとか。今、韓国のナンバーワン・デザイナーは74才の人(名前失念)で、頭の髪の毛のないところをマジックインキで塗ってるんだよね、といって写真を見せてもらったが、なるほど凄いオーラの人物であった。帰りに北海園に。弁護士の先生と一緒にタクシーで新宿。中央線で帰宅の巻。

2008/04/28 古本屋で
南阿佐ヶ谷までNY行きの航空券代金を支払いにぶらぶらあるく。
帰りに古本屋に入ってみたらビル・エバンスのワルツ・フォー・デビーが流れていた。
ヴィレッジ・バンガードでの有名なライブ盤である。
そのうち聴いたことのない同じ曲のテイクが流れてきたので本を立ち読みするふりをして聴く。
同じ日に録音した別テイクに違いない。
いままでオクラになっていたのだろう。面白い。
来月NYのオフ日にヴィレッジ・バンガードにポール・モチアンのライブを聴きにいこうと思っている。ポール・モチアンはこのビル・エバンスのライブ盤のドラムスである。なんとなく感慨深い。

2008/04/20   一日
作曲家の故滝沢洋一さんの3回忌に参会。
小田急線の鶴川までいく。
滝沢さんは1970年代の後半からいわゆるニューミュージックの分野で活躍されたひとである。
1990年代前半に知り合い、ずいぶん遊んだ思いでがある。
帰りは小田急線のはるひ野駅より多摩線にのり、新百合丘駅で急行の乗り換える。20年ぶりの多摩線はすいていた。

2008/04/17 ライブの日
今日はライブをする。
青山通りにあるジマジン。
ベースに加藤真一、ドラムに藤井信雄。
自由にやるのがいいので自由にやる。
ピアノの蓋を取って風とおし良し。
帰り、高円寺の一慶によって帰ったのであった。

2008/04/11  表参道で写真展
「色男、金と力はなかりけり。」
おれは「色男、でもないのに、金と力はなかりけり。」などと一人ごちながら、表参道駅をおりて今日はアラーキーさんの「YAMI NO HANA-ARAKI'S Jewelry and flower」という写真展のオープニングに表参道ヒルズのスペース[O:]へ。
いろいろな人にひさしぶりに会う。ファッションデザイナーのコーシン・サトウ氏は今年サンクトペテルブルクに2店鋪出したとのこと。すごいな。
帰りは下北沢のマダム、弁護士の先生、秘書の方、カワカミさん5人で、BARBACOAというブラジル料理店で肉をゴチになり喰ひすぎる。

(写真左)デザイナーのコーシン・サトウ氏とサエない顔のヤスダ氏(写真右)写真家の安斎氏ともツーショット

2008/04/2 なんだかんだの日
前回ポルトガルのオケ宛のメールに添付して「Suite Efua」という曲を送った。と書いた。スコア、パート譜はフィナーレというソフトで作ってある。受取側はこのソフトを持っていない場合は Finale note padという無償ソフトをダウンロードして開くわけだが、、案の定というかなんというか開かないとの悲鳴が。こちらで圧縮して送ったためかと、今度は圧縮なしで10回に分けて送り、10回ちかくやりとりの末めでたく開けたらしいのが午前9時半。ああ、しんど。

夕方、新宿のタワレコに行ってCD、DVDを衝動買い。
まず、クロード・ドビュッシー本人による自作のピアノ演奏。これはプレリュードや子供の領分を弾いているのだが、なんとしてもウェルテ・ミニョンやピアノラなどのロールピアノなのが惜しい。ただ、ペレアスなど4曲だけメリー・ガーデンの歌の伴奏で1904年の蝋管機械録音がありこれは大変な収穫。しかしこれらの自動ピアノは当時画期的でレコード盤より信用されているおもむきもあったのだ。ストラヴィンスキーなどはこれらの自動ピアノ用に曲を書こうと目論んでいた。なぜなら、演奏家達のいらぬ解釈を通すことなく作品を音にできると考えたからだ。

お次はFranciszek Lukasiewicz(1890〜1950)というポーランド人ピアニストの超レア盤。フランチシェク・ウカシェビチと読むらしい。まったく聞いたこともない名前だが、レシェテッキー門下。ということはパデレフスキーやフリードマン、ブライロフスキーと同門だ。例の戦場のピアニストのシュピルマンと同じ世代だ。ちなみに1939年に死んだウィーンの作曲家フランツ・シュミットも同門である。戦時中は大分苦労したらしい。演奏はショパンとポーランドの作曲家のものが中心、すこしロシア物とナチスの敵メンデルスゾーンもある。ショパンはかなりミスタッチだらけだが、たとえて言えば「アッシャー家の崩壊」といった演奏。コルトーのミスタッチと違って幸せそうな感じはない。1937〜1950のポーランド録音だからどんな状況で録音したのか、時代の影響もあるだろう。もともと持っていたテクニックとファンタジーをだれかに奪われたような感じをうける。ショパン以外にポーランドの作曲家の曲を弾いているのが素晴らしくいい。いずれにせよ、その人の人生にある意味興味をそそられる。

最後はフェレンツ・フリッチャイのリハーサルと本番が入ったDVD。これはまだ見ていない。
高校のころフリッチャイ指揮のシェエラザードをヘリオドール盤でよく聴いた。まだ、疑似ステレオなんていう言葉があった頃だ。フリッチャイは若死で薄幸の感じがしてなんとなく今日に至るまで聴いていない。
どんな姿か楽しみでもありといったところである。

2008/04/01 Nova Orquestra de Lisboa
Nova Orquestra de Lisboa というポルトガルの若いオーケストラから曲を頼みたいとメールがあったのは去年の12月だった。締めきり日の今日、メールに添付して「Suite Efua」という曲を送った。4曲からなっている組曲だ。しかし、思うにやっぱりインターネントはすごい。便利だね。レコーディングもインターネットで世界中でオーバーダビングできるし、、とはいえ、パソコン作業がつづく日々。目はとっくに老眼だ。やってらんねえ。そろそろライブをガーンといってみよう。


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